カテゴリー: 子育て

  • 【最強のメンタルの作り方】

    皆さんこんにちは!GW毎日11:00-22:00まで働き死にかけました(笑)皆さんはどんなGWを過ごされましたか?納得のいくGWを過ごせましたか?結局、満足のいくGWを過ごせたかどうかは皆様のメンタル・モノの捉え方によると思います^_^☆

    前回、順風満帆な小学校生活のラストに今後の私の人生に大きく関与する試練が訪れたといったお話をさせて頂きました。

    それではいきましょう!★

    《小学生時代》(番外編)

    6年生時の運動会で応援団長に任命されたことにより、校内での知名度が爆上がりした私。また幸運なことにリレーのアンカーまでも務め1着フィニッシュ。挙げ句の果てには4色対抗の運動会で私が応援団長を務めた白組が優勝。これにより、バレンタインデー下級生から合計20個を超えるチョコレートを頂く事になります(笑)

    そして事件は起きます…

    バレンタインデーの翌日、いつも通り学校に行き昼休み、下級生の女の子とお話をしていると…

    同級生の男の子2人から突然「ナンパ先輩 女好き」などと罵声を浴びます。

    当時の私はメンタルが形成されていたわけでもなかった為、罵声を浴びると狼狽えてしまいました…

    そしてその一件で落ち込んでしまった私は帰宅後、母にこう告げます…

    「学校に行きたくない・友達に悪口を言われた」

    毎日楽しく学校に通っていた私からの予想外の発言に母は更なる予想外の返答をします…

    「やったじゃん!」

    私は今でも当時のことを鮮明に覚えています(笑)

    母からの返答に対し私が “?” の反応をすると

    「悪口は言われている方が主役。あなたが悪口を言う側の人間ではなく言われる側の人間でよかった。きっと友人はあなたを妬んでいるだけ。だから今度また悪口を言われたら”ありがとう”と言いなさい」と母は私に言いました。

    私は一気に心が軽くなり、翌日学校に行くことが出来ました ✌︎

    すると予想通り、翌日も私は友人に悪口を言われました。

    しかしメンタルが既に形成されていた為、私は笑顔で「ありがとう」と返答します^_^

    すると友人は即座にその場を離れその後、私に悪口を言ってくることはなくなりました(笑)

    この事件以降、私は周囲からいい意味で妬まれる存在・みんなの憧れの存在になりたいと強く思うようになりました^_^☆

    そんなこんなで充実した6年間を過ごし、中学生といった次のステージに足を運びます…

    ではまた次回の《中学生編》でお会いしましょう^ – ^♡

    -次回に続く-

  • 【27歳 人生 経験談 幸せとは】

    皆さんこんにちは!唐突なリンパ腺の腫れにより熱が出て辛い日々を送っていました(笑)ちなみに日本に帰国し早くも1ヶ月が経ちました!時の流れの速さに驚きつつ、時間を無駄には出来ないと日々肝に銘じているそんな今日この頃です(笑)

    皆様もとりあえずは体調管理を最優先に自分のペースで生きていきましょう^_^☆

    前回、運動神経が良い割に水泳が苦手ということが判明し、スイミングスクールへ通い始めることを決意したところまでお話させて頂きました。それでは続きをどうぞ!

    《小学生時代》(後半)

    5年生

    前年の夏に悔しい思いをした私。約1年間の水泳トレーニングにより、自由形・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライ全ての泳ぎ方で何mでも泳げる様にまで成長しました。満を持して臨んだ水泳の授業。結果は学年で最速のタイムで25mを泳ぐことに成功します。友人は驚きすぎたせいか私に何一つ言葉を発しませんでした。(笑)まさに結果で相手を黙らせた瞬間だったと思います(笑)

    公文も同様ですが、私のやりたい事をやりたいようにやらせてくれた両親には感謝の気持ちでいっぱいです…

    6年生

    気がつけば私も最上級生。そんな最上級生にとって小学校生活の集大成といっても過言ではない運動会!私の小学校では運動会は9月か10月に開催されました。その為、夏休みが終わるとすぐに運動会に向けて準備を行います。夏休み明け、私は担任の先生に呼び出されます。要件は”応援団長をやって欲しい”との事でした。正直、私は応援団長をやりたい!といった気持ちはありませんでしたが、先生からの圧もあり、当時の私は即座に「はい」と返事をした記憶があります(笑)今思うと、本当にやって良かったと思います(笑)

    応援団長の役割としては、開会式/閉会式の旗揚げ・選手宣誓・自分が出場する種目以外の応援(グランドの中心地で指揮を取り仲間と大声を出す)などがありました。応援団長就任が決まるとその日以後、毎日放課後、応援団長の練習を行いました。想像の5倍は厳しく指導され、泣きそうになったり、辞めたくなったり何度もしました(笑)

    しかしながら厳しい指導のお陰もあり結果として、応援団長としての運動会は大成功に終わり、最高の思い出を作ることが出来ました。

    貴重な経験をすることも出来、悔い無く小学校を卒業できると思っていた私。そんな私に今後の人生に大きく関与するとんでもない試練が訪れます…

    -次回(番外編)に続く-

  • 【人生の充実アップ術】

    皆さんこんにちは!

    花粉の時期も終わりが近づき、徐々に暖かくもなり過ごしやすい日々を送っている今日この頃です。

    前回は小学1年生と2年生の時期の私についてお話させて頂きました。今回は3年生と4年生の時期についてお話させて頂きたいと思います!

    《小学生時代》

    3年生

    小学2年生終盤に野球部を辞め、公文に通い始めた私。勉学に全力を注ぎ込むと思いきや…

    私の通い始めた公文は毎週月曜日と木曜日に教室に通うことが出来、それ以外の曜日は与えられた宿題を行うといったシステムでした。私は算数と国語のコースで公文に通い始めました。算数の計算速度を上げることが当初一番の目的であった為、出来る限りの宿題を先生から頂き、たくさん計算問題を解きました。結果として、公文に通い始めて1ヶ月程で、学校内で計算速度で負けることがなくなりました。

    しかし、事件はここから起きます…

    誰にも負けない計算速度を身につけた私は慢心し始め、公文の宿題を怠り始め、放課後は友人と毎日遊ぶ日々に明け暮れます。時には公文さえサボることもありました。

    そんな日々が続いたある日、公文の先生から私の母の元に電話が届きます。内容は私が悪い方向に進んでしまっているとのことでした…

    公文を習い始めた当初の情熱は消えてなくなり、公文で出来た友達を巻き込んで公文をサボっている始末…

    母は私に強く叱ります。やる気がないなら辞めること。そして人様に迷惑をかける事だけは許さないと…

    私は心を入れ替え、週に400枚程、計算プリントを行います。結果として小学5年生時には、中学課程を終了させ、Iリーグ合宿(当時の名称・中学課程を終えた小学生のみが参加出来るイベント)に参加出来る程にまで数学が得意になります(笑)

    4年生

    心を入れ替え、勉学に励み、再度、順風満帆の生活を手に入れた私。しかしそんな私に試練が起きます…

    4年生になると夏に行われる水泳の授業で25m泳ぐことが出来るかのテストが行われます。私は13mを泳ぐことは出来ましたが、25mを泳ぎ切ることは出来ませんでした…(息継ぎができなかった為)

    その際、友人からボソッとメンタルが崩壊することを言われてしまいます…

    「運動神経いい割に泳ぐのは得意じゃないんだね」と…

    私はその日、家に帰ると母親に言います。

    「水泳を習いたい。ただ、家から近場のスイミングスクールは学校の友人が数多く通っているから通いたくない」と…

    そう伝えると、母は車で30分程かかるスイミングスクールを探し出し、その日に見学に連れて行ってくれました。

    私はそのスイミングスクールに通うことを決意します。

    1年後の水泳の授業でみんなの驚く顔を見ることを楽しみにして…(笑)

    -次回に続く-